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桂藏寺の什物 |
![]() 本尊 阿弥陀如来 元文3年(1738) 湯殿山光如律師作 | ![]() 中興開山 天嶺性空禅師木像 元文3年(1738) |
![]() 十三佛 江戸中期頃 | ![]() 秘仏 地蔵菩薩 1576年以前(天台宗時代) お盆期間に開帳 |
![]() 瑞巌寺三代開山位牌 江戸時代 瑞巌寺105世 天嶺性空筆 | 禅宗三代開山位牌江戸時代 瑞巌寺105世 天嶺性空筆 |
![]() 有縁無縁萬霊位牌 江戸時代 瑞巌寺105世 天嶺性空筆 | ![]() 中興開山天嶺性空禅師位牌 江戸中期 |
![]() | 対聯(ついれん) 元文3年(1738) 瑞巌寺105世 天嶺性空筆 寺門添浄山花温 丈室新開桂月輝 (寺門浄き添え山花温かに丈室新開し桂月輝く) 寺門が新しくなりその上に山花が温かく彩りを添え、丈室を新しく作り、桂月が輝く。 桂蔵寺が中興された祝いに新添(しんてん)された対聯、本堂室中(しっちゅう)の左右の柱に掛く。 桧材を用い、寺形を籠字彫りし、白色の胡粉を塗る。上端隅を木瓜型(もっこうがた)に縁どり、四縁・側面を紅殻で縁どる。 現在の柱には複製を掛け、実物は保存し非公開。 |
![]() | 内陣対聯(ないじんついれん) 元文3年(1738) 瑞巌寺105世 天嶺性空筆 光明遍照盡十方 念佛衆生摂不捨 (こうみょうへんじょうじんじっぽう ねんぶつしゅじょうせつふしゃ) 光明は遍く全世界を照らし、救いを求めて念仏する衆生をひとり残らず救ける 『観無量寿経』に説く「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」を略縮。材は杉で、上端を入隅に切り込み、緑青で縁取りし、字体を籠字彫りして紅殻を塗る。内陣仏龕の左右の柱に荘厳。 現在の柱には複製を掛け、実物は保存非公開。 |
| 扁額 「桂藏寺」 享保17年(1732) 瑞巌寺105世 天嶺性空筆 欅の 一枚板を用い、外縁に沿って木瓜型の沈線一条を廻らし、行書体の寺号に金泥を、全体に紅殻を、落款に墨を入れる。以前は同じく天嶺性空筆の山号額も存在した。 裏面に「享保十七/壬子正月/二十四日/住持/湖山/東竹/額板施主/板屋肝入/伊兵衛」とあり、「日月山桂藏寺記」に記す湖山□竹の住持を裏づける。又、天嶺性空の揮毫時をも限定できる。湖山東竹は定嶽東慧の法嗣(はっす)「洞水ー鵬雲―大領―定嶽」である。 |
![]() | 日月山桂藏寺記 寛延4年(1751) 瑞巌寺108世 白庭東梨筆 慶長19年(1614)瑞巌寺80世廣天 青和尚が開創、その後短期間で91世義山が住し、更に月仙不及(げっせんふぎゅう)、養雲慧発(よううんえはつ)、湖山東竹(こざんとうちく)らが住した。天嶺性空の法嗣(はっす)実禅祖柏が心血を注いで殿堂を新たにし、その努力に対し天嶺も援助を惜しまなかったので、立派に復興した。天嶺を中興として称え、木像を安置した事を記す。 |
![]() | 浄智普鑑禅師号額 延享2年(1745)4月15日 中興開山の天嶺性空に、延享2年(1745)桜町天皇から「浄智普鑑禅師」号を勅謚(ちょくし)された。法嗣(はっす)の実禅祖柏が師の功績顕彰と、自身の策励(さくれい:座右銘)として綸旨(りんじ)の文章を刻し、本堂に掲げた。 |
![]() 達磨大師掛軸(非公開) 江戸時代 平成27年修復 | ![]() 涅槃図 江戸時代 平成27年修復 |
その他にも、明治時代の桂藏寺什物帳では、江戸時代の講本(語録)や大般若経の一部(約20巻)、法華経6巻と記載がありますが、すべて非公開となっています。












