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桂蔵寺の沿革

 
  
桂蔵寺は、慶長19年(1614)瑞巌寺の前身円福寺80世廣天青(こうてんせい)和尚が天台宗の寺院であった当寺を臨済宗として小規模ながら再建いたしました。その由縁から廣天青和尚を開創としています。また、その時無住であった本堂に桂の木でできた地蔵菩薩が本尊としてまつられていたため、桂蔵寺と寺号を称し、鎮守として日光菩薩、月光菩薩をお祀りしていたことから山号を「日月山」としました。
 
その後、瑞巌寺91世義山(ぎざん)和尚、月仙不及(げっせんふぎゅう)、養雲慧発(ようんえはつ)、湖山東竹(こさんとうちく)が住しました。さらに、瑞巌寺105世天嶺性空(てんれいしょうくう)の法嗣(はっす)実禅祖柏(じつぜんそはく)が心血を注ぎ、殿堂を新たにし、天嶺も援助を惜しまず立派に復興を遂げました。その天嶺性空を中興として称え、木造を安置しました。(現在でも当時の木造を安置しております)
 
しかし、大谷村(現大郷町)羽生で築館城と大谷村を治めていた岡家の菩提寺である当寺が焼き討ちされ、移転先であった大谷村川内で火事に遭うなど、二度の火災でほとんどの記録什宝も焼失してしまいましたが、現在でもわずかに現存しています。二度目の火災によって現在の場所に本堂と庫裡を再建し今に至っております。
 
廣天青を開創としますが、円福寺93世実堂宗中(じつどうそうちゅう)が円福寺(瑞巌寺)の入山が天正6年(1576)頃であるため、開創の歴史は更にさかのぼる可能性があります。
天嶺性空が勧請中興(かんじょうちゅうこう)、その嗣実禅祖柏が実質開創、天嶺が山号額(焼失)寺号額・対れん・祖師位牌等を制作した事が本堂に現存する資料より判明しました。
 
 中興開山 瑞巌寺105世天嶺性空禅師木像
元文三年/桂藏寺本堂新築時に安置
扁額「桂蔵寺」 天嶺性空筆
享保十七/壬子正月/二十四日/住持/湖山東竹
 
 

桂藏寺の由緒

 
本尊 阿弥陀如来
湯殿山光如律師作 元文3年(1738)安置
修復開眼 令和6年6月30日
浄智普鑑禅師号額 
延享2年(1745)
桜町天皇から勅謚されたことが刻まれている
 
山号日月山(にちげつさん)
寺号桂藏寺(けいぞうじ)
所在地宮城県黒川郡大郷町川内字下堰場12
宗旨臨済宗(りんざいしゅう)妙心寺派
本山・本寺
正法山 妙心寺(しょうぼうざん みょうしんじ)京都花園
青龍山 瑞巌寺(せいりゅうざん ずいがんじ)松島
本尊

阿弥陀如来

(元文3年(1738)瑞巌寺より寄贈 湯殿山光如律師作)
秘仏

地蔵菩薩

天台宗で開山してから元文3年(1738)までの本尊

(毎年8月13日~20日までの1週間のみ御開帳)

開山

慶長19年(1614)

松島瑞巌寺80世廣天青(こうてんせい)和尚

法系
瑞巌寺103世通玄(つうげん)禅師の法嗣(はっす)瑞巌寺天嶺性空(てんれいしょうくう)禅師の法系、通玄派になります。
法源地 大雄山 善應寺(だいゆうさん ぜんのうじ)仙台燕沢
 宗風 宗門は僧俗ともに禅の安心を求める同心同行であり、妙心寺開山無相(むそう)大師の『請うその本(もと)を努めよ』の後遺戒(ごゆいかい)と、開基花園法皇(はなぞのほうおう)の『報恩謝徳(ほうおんしゃとく)』の聖旨(せいし)を体して仏法興隆を実践する教団であります。
 信条自心仏(じしんほとけ)であることを固く信じて坐禅に励み、本当の自分にめざめ、どんな困難にもめげず脚下(あしもと)を照顧(みつ)めてくらしを正し、生かされている自分を感謝しつつ世のため、人のためにつくします。


日月山桂藏寺記

 
 
 
日月山桂藏寺記【原文】
松島之北二里餘有山此山也曠古傳天臺之學朕朕莫由考開祖之卜等創建況其閭里旗姓手嗟呼年代荒遠而實不可知□夫本尊地蔵菩薩以桂樹彫刻焉雖不記其刻者之姓名而衆人祷之無爽克其願也故寺曰桂藏寺■日月両天子祭祠鎮守因山號日月焉中慶長拾有九年松島瑞巖七十九世廣天青和尚視此山之叢爾僅存於而興復之迠今穪之爲開山也又松島九十一世義山西堂中雖主於此山已来寺財田畠散在而不知所其主加之餘者不枚擧久■世代紛乱傳口碍者也後湖山次養雲住茲現住實禪柏公者天嶺空和尚之◇足也始主於此山也新殿堂而葺補門無之廢壌凡居室互有者悉更作焉加之焏抽衣資購不易之田若干畝以祐於疱稟不窮之衆食柏公勞於此山也
亹々焉皇々焉其仰空老和尚日常所尊無量寿佛湯殿山光如律師之手刻也寄附於當寺爲本尊故以奮尊地藏大士有非常靈験而秘藏於内殿也
天嶺大禪師因於當山有助力以爲中興兼安置木像云實禪柏公靳豫記之姑書其概略■
山上曰
寛延四龍集辛未秋八月
現松島瑞巌梨白庭叟
 
□はム+中+虫という字。■はムの下に共という字。◇はネに司という字。
 
日月山桂藏寺記【意訳】
 
松島の北、二里余りのところに山があり、これが即ち日月山桂藏寺である。ずっとだいだい昔、天台宗の寺であり、開祖が何時、この地を卜し創建したのか、又その本籍氏族、姓名等は一切不明である。然しながら本尊地蔵菩薩は、桂の木をもって彫刻し、作者は不明であるが日月の両天子を祀って鎮守として居るので、山号を日月山というのである。
慶長19年松島瑞巌79世廣天青和尚はこの山の小規模で形ばかりなのを見て之を復興したので今日まで開山としてきたのである。
その後松島91世義山西堂がこの山の住職となったが、その頃は田畠その他の寺有財産も分散してその所在もわからず世代等も判然とせず湖山和尚に次いで養雲和尚が住し現住の実禅柏公は天嶺空和尚の弟子である。
此の山の住持となった頃、殿堂を新しくし門の葺き替えようにも財源が乏しく非常に苦しかったが荒廃が甚だしいのでどうにか修理をしたけれど、着るものも新調することが難しく若干の田があったので何とか台所の方は間に合わしたが、皆の食事についても柏公は大変苦労したのである。
空和尚は尊崇して居る無量寿佛は、湯殿山光如律師の自作の彫刻である。当寺に寄附して本尊としたので、旧本尊の地蔵大士は霊験あらたかである処から内殿に秘蔵したのである。
天嶺大禅師は当山の功労者であるので中興として木像を安置したのである。
実禅柏公が以上のことを豫(あらかじ)め記録してをるのでここにその概略を書いてをくものである。
山上曰く。
寛延四(龍集)辛未(かのとひつじ)秋八月
現松島瑞巌梨白庭叟
 
昭和六十年十月十二日
桂藏寺第十八世徳應宗忍 謹写
 
 

桂藏寺歴代住職

   
桂蔵寺の歴代住職とその法系です。天台宗であった時の記録が大谷村築館城・桂藏寺が焼き討ちの火災により焼失して無い為、臨済宗としての開創を開山としています。また、江戸期の火災によって、記録が無い部分もあります。
 
開山(開創)瑞巌寺79世
廣天□青
慶長16年12月12日示寂
桂藏寺2世瑞巌寺91世
義山西堂
示寂年不明
桂藏寺3世
禅海全種
   
桂藏寺4世松島第1座
月仙不及
宝永7年1月14日示寂
桂藏寺5世
養雲發公
安永4年9月4日示寂
桂藏寺6世
湖山東竹
延享4年2月2日示寂
中興開山瑞巌寺105世
天嶺性空
元文5年4月23日示寂
桂蔵寺8世
実禅祖柏
天明5年3月10日示寂
桂蔵寺9世 善應寺9世
実道性因
寛政11年1月14日示寂
桂藏寺再住
禅海全種 
延宝8年10月19日示寂 
桂蔵寺11世
実須祖参
文化13年9月9日示寂
桂蔵寺12世
榮林慧宙
天明4年1月22日示寂
桂蔵寺13世善應寺14世
清叟性奏
示寂年不明
桂蔵寺14世善應寺17世
春乗禅淑
安政4年5月26日示寂
桂蔵寺15世
禅昌座元
示寂年不明
桂蔵寺16世
石磷宗確 
大正9年5月18日示寂
桂蔵寺17世
寛宗宗永
昭和11年9月5日示寂
桂蔵寺18世(再建)
徳應宗忍
平成18年9月22日示寂
桂蔵寺19世
宗圓文隆
現 住 職
 
 
以上が臨済宗に改宗されてから今日に至るまでの歴代住職です。
桂藏寺嗣法縁系譜では、第16世石磷宗確禅師から第17世宗永、宗復(大和町吉田禪興寺)、宗一(大和町落合報恩寺)、宗岳(大郷町中村東光寺)と各寺院に弟子が輩出され、大和町吉田禪興寺の住職になられた宗復より泰山(大和町吉岡天皇寺)、東松(禪興寺、戦没)、宗育(戦没)、当寺第18世宗忍、第19世宗圓が輩出され、今日まで桂藏寺から各寺院が法脈を受け継ぎ護られています。