県内の臨済宗寺院の本寺、日本三景松島の名刹「青龍山 瑞巌寺」であります。
 
開山は慈覚大師円仁によって天台宗寺院として天長5年(828年)に「松島山 延福寺」として創建されました。
 
1260年頃に鎌倉幕府北条時頼の請を受け、法身禅師(ほっしんぜんじ)によって、延福寺を円福禅寺と改め、臨済宗として改宗しました。
             
法身禅師の後に、北条時頼が開創し鎌倉五山の第一山建長寺を開山された中国の名僧大覚禅師こと蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入り臨済宗建長寺派としての歴史が始まり、関ヶ原の戦いを経て、仙台を治められた伊達政宗公の庇護を受けられました。
 
その藩主政宗公の請を幾度となく断りました禅傑雲居禅師(うんごぜんじ)は、政宗公が亡くなってから最後の請を受け瑞巌寺に入山、建長寺派を妙心寺派に改め、その名声は全国に広まり、多くの雲水(うんすい:修行僧の名称)が訪れ、隆昌を極めました。
 
その後、「松島青龍山 瑞巌円福禅寺」となり、数多くの禅傑を出して、今日までいたります。


  

通玄派の祖、通玄法達禅師(勅謚大照智光禅師:妙心寺265世・瑞巌寺103世)の法脈を受け継ぐ寺院を表します。
 
禅師は、瑞巌寺のある松島にお生まれになり、若くして禅傑雲居希膺禅師から直接教えを受け、更に瑞巌寺100世洞水東初(大機円応禅師)に参禅し、全国を行脚してひたすら修行し、大本山妙心寺を歴住し、元禄16年(1703年)に瑞巌寺の住職になられました。
 
また、伊達4代綱村公の要請により、仙台燕沢善應寺を開山しております。
 
通玄禅師の教えは『参禅弁道によって衆庶に転迷開悟(てんめいかいご:煩悩を転じ涅槃に生きる悟りを開くこと)安心立命(あんじんりつめい:信仰によって天命を悟り心を安らかにして悩まないこと)を得さしめること、すべての人々がそれを知ることにより報恩謝徳(ほうおんしゃとく:仏恩にむくい、よい行いをすること)の誠を行うこと』であります。
 
その通玄の法を継がれた瑞巌寺105世天嶺性空禅師は、27歳の時、仙台燕沢善應寺創建の現場責任者を果たし、大本山妙心寺の住職を二度にわたり住持し、三住を果たされました。この三住を果たされたのは、瑞巌寺では洞水と天嶺の二師のみです。
 
また、延享2年(1745年)に桜町天皇より天嶺は「浄智普鑑禅師号」を勅謚され、当時伊達領の寺院は建長寺派でしたが、その寺院を妙心寺派に改め、多くの寺院を再建復興させ「中興開山」となり、復興再建された寺院は、その法脈を受け継ぎ「通玄派」と称し、現在瑞巌寺末58ヶ寺中、最大の16ヶ寺が属しております。
 
善應寺山門
善應寺本堂 
 
通玄派の中でも、桂蔵寺願成寺(塩釜錦町)、西光寺(仙台福室)、誓渡寺(仙台中野)の4ヶ寺を通玄四哲と呼び、法源地善應寺を住持してまいりました。
 
 
 
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