春は花が咲き始める季節です。皆さまも花見や外に出ていくなどで楽しい時間があると思いますが、お釈迦さまの誕生日をご存じの方は少ないでしょう。
キリストの誕生日は、皆さまはご存じだと思います。
お釈迦さまの誕生日は4月8日の「はなまつり」で知っている方もいるはずです。
この「天上天下唯我独尊」は、お生まれになったお釈迦さまが東西南北7歩づつ歩かれ、右手で天を指し、左手で地を指して言われた言葉であると伝えられています。
この言葉を知っている方もいるかと思いますが、
誤った見解をお持ちの方も多いはずです。
字を見ると「天の上にも天の下にも、唯、我独り尊い」となってしまい、
自分が一番尊いと勘違いしてしまいます。
これは、この世の中で、一人一人が尊厳なる人格を持ち、関わり合い、一人一人が尊い大切な存在であるという意味であります。
自分一人だけ存在しているものなどありません。
また、自分一人だけが尊いわけでもありません。
すべてが自分と深く関わり合って存在している尊い存在であると認識しなければならない。
厳しい冬が過ぎて、春には桜が咲きます。
その桜でさえ、一人で咲くわけでもありません。
大地があり、日の光があり、すべての条件が整ってはじめて、皆に親しまれる花が開きます。
私たちの命もそうです。
親があって、この世界に生まれ、呼吸して食べて命を保ち、経験を重ねて、大人になっていく。
産声を天地いっぱいに叫ぶ、この世界に尊厳なる人格の誕生を「オギャー」と知らせている。
辛い経験も、楽しい経験も自分の人生に関わっている。
善し悪し関わらず、すべてが貴重なものであります。
辛い経験をしていない人に辛さの意味がわからないように、楽しい経験をしていない人に楽しさの意味を教えれないように、大切なことが言葉や文字で表せない。
大切なことは文字や言葉は必要とせず、心から心へと伝わっていきます。
辛い経験をしていない人に辛さの意味がわからないように、楽しい経験をしていない人に楽しさの意味を教えれないように、大切なことが言葉や文字で表せない。
大切なことは文字や言葉は必要とせず、心から心へと伝わっていきます。
辛い経験があるからこそ、他に与えてはならないと思う思いやりの花が咲く。優しい心の花も咲く。自分一人だけでは、喜怒哀楽のすべてが感じられません。
自分一人だけ、一つだけを感じるのではなく他があることを感じる。
自と他だけ一方を見ては、もう一方は見えません。
光があればこそ、影がある。影があるからこそ、光があることを知るように、自分と他を分け隔てるものはありません。
自と他だけ一方を見ては、もう一方は見えません。
光があればこそ、影がある。影があるからこそ、光があることを知るように、自分と他を分け隔てるものはありません。
他があって自分の生命があり人生でありましょう。
それこそが「天上天下唯我独尊」ではないでしょうか?
桜も咲く季節。惜しまれながらも散っていく花。それもまた、この世の美しさであります。
めぐりめぐる生命の中で、今年もまた新しい花を咲かせるのですから。