この語は「大涅槃経」に記されています。
前回の法話に諸行無常を書いていますが、それに近い意味であり、
「すべては無常であり、生命あるものは必ず滅する時が訪れる」
ということを示します。
「会者定離(えじゃじょうり)」と対で使われますが、
この「会者定離」とは、「会うものは必ず離れる運命にある」
ということを意味します。
私たちの命は限りがあります。
その限りある時間の中で、この世でたくさんの人たちと出会い別れ、いろいろなことを経験していきます。辛いことや悲しいこと、うれしいことや楽しいこと全てが等しく意味があり、無駄な経験はないような気がしますし、その経験が活かされていきます。
自分の人生に必要であるから出会い、満ちた時に離れるのではないでしょうか?
出会わないものは、生きている間、出会わないものではないかと思います。
この世に生まれることは、両親の願いなど、そのものの縁が結ばれて生まれてくるものです。
自分の人生に必要であるから出会い、満ちた時に離れるのではないでしょうか?
出会わないものは、生きている間、出会わないものではないかと思います。
この世に生まれることは、両親の願いなど、そのものの縁が結ばれて生まれてくるものです。
すべてが自分の生きる道と関わっている。
家族と共にいられること、大切な人と共にいられること、当たり前のように感じることが決して当たり前ではないこと、本当に素晴らしいことであり、奇跡に等しいものです。
ですが、その大切な人といつかは別れなければならなく、その限りがあることに気付きません。
別れこそがこの世にある絶対で、そのほかは100%のものは無い。
ですが、最近のニュースでは、暗い報道ばかりが目立ちます。
「命を奪う」ことが毎日のように報道されています。
私たちは、「自身の欲」に捉われ過ぎではないかと思います。
ただでさえ、人間は他の動物の命を奪い、食として自身の命を保っています。
そのことを考えれば、自身の命は、たくさんの命によって支えられていること。決して、この世の生き物は、一人では生きられません。
1つの命が失われることは、その命に結ばれる者が悲しむことなのです。
1つの命が失われることは、その命に結ばれる者が悲しむことなのです。
その生命の尊さ、自身の尊さ、他の尊さに気付かなければなりません。
一人にはたくさんの大切なものがある。たくさんの縁に結ばれている。
そして、この日本という国に生まれ、平成という時代を生きている。
どんな人であっても、様々な出会いと別れがある。
だからこそ、この一瞬一瞬、一日一日を大切にし、生かされていることへの感謝の気持ちを忘れてはいけないのです。
私たちが一日を生きられることは、たくさんの縁に支えられいる。
私たちが一日を生きられることは、たくさんの縁に支えられいる。
「ありがとう」という感謝の言葉は、人を笑顔にする力を持っています。常日頃、支えてくださっているご家族などにかけてあげてください。