お経の意味

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~支倉又兵衛常信菩提霊地~
  臨済宗 妙心寺派
 日月山 桂藏寺
 臨済宗で読まれるお経
 
臨済宗でよく読まれるお経を紹介します。
 
   開経偈
(かいきょうげ)
意:お経を読誦
るに当たって
りの言葉
  般若心経
(はんにゃしんぎょう)
意:大いなる優
た智慧によっ
理想の世の中
に達するための
中心の教え
  消災咒
(しょうさいしゅ)
意:諸菩薩・宿
星に向かって、
 天災・人災一
の災難を消除
る教え
  世尊偈
(せそんげ)
意:観音さまの
お力を念ずれば
あらゆる苦難か
ら救われ、多
の幸せが授けら
れる
  大悲咒
(だいひしゅ)
意:観世音菩薩
の千手千眼によ
て示された、
衆生に向けられ
た抜苦与楽(ばっ
くよらく)の誓願
・功徳を頂
  開甘露門
(かいかんろもん)
意:甘露の門を
開き、多くの精
の中で供養さ
れず、餓鬼道に
堕ちて苦しむ精
霊を安堵せし   める
  坐禅和讃
(ざぜんわさん)
意:坐禅の大切
さ、尊さ、功徳
和讃で示した
経。繰り返し読
むことで、人間
に生まれたあ
がたさが諒解で
きる
  舎利礼文
(しゃりらいもん)
意:仏のご遺骨
を礼拝する言葉
 
上記が法要などで皆様がよく聞かれるお経になっています。
 
 本尊さまに対しては、
 般若心経消災咒を読みます。
 
 先祖供養では、世尊偈大悲咒
 又は坐禅和讃を読みます。
 
 お墓の開眼・閉眼供養や納骨で
 は、大悲咒舎利礼文を読みます。
 
 お盆の施餓鬼会では、世尊偈
 甘露門大悲咒を読みます。
 
寺院さんによっては、若干違いますが大概はこのように読まれ、
その勤めにあったお経が読まれています。
 
 
 お経の意味

お経は、お釈迦さまや祖師が法を説かれた言葉であります。
ですから意味があり、法を学べる機会を与えてくださっているのですが、現代人にとって漢文は難しいものがあり、見ただけでは分かりません。
 
ですが、お経とはお釈迦さまや祖師が示された教えなど迷える者に仏道を教え示された言葉であります。
 
そこで、多くの宗派が読む有名なお経、般若心経を載せます。
 
まかはんにゃはらみたしんぎょう
摩訶般若波羅蜜多心経
 
かんじーざいぼーさー   ぎょうじんはんにゃ
観自在菩薩。行深般若
はーらーみーたーじー しょうけんごーおん
波羅蜜多時。照見五蘊
かいくう   どーいっさいくーやく
皆空。度一切苦厄。
しゃーりーしー  しきふーいーくう     くう
舎利子。色不異空。空
ふーいーしき   しきそくぜーくう     くう
不異色。色即是空。空
そくぜーしき  じゅーそうぎょうしき  やく
即是色。受想行識。
ぶーにょーぜー しゃーりーしー  
復如是。舎利子。
ぜーしょーほうくうそう  ふーしょーふーめつ
是諸法空相。不生不
ふーくーふーじょう  ふーぞうふーげん  
不垢不浄。不増不減。
ぜーこーくうちゅう  むーしきむーじゅー
是故空中。無色無受
そうぎょうしき  むーげんにーびーぜっしん
想行識。無眼耳鼻舌身
にー   むーしきしょうこうみーそうほう
意。無色声香味触法
むーげんかいないしーむーいーしきかい    
無眼界乃至無意識界。
むーむーみょうやくむーむーみょうじん
無明亦無無明尽。
ないしーむーろうしー   やくむーろーしー
乃至無老死。亦無老死
じん   むーくーしゅうめつどう
尽。無苦集滅道。
むーちーやくむーとくいーむーしょーとく
無知亦無得以無所得
こー   ぼーだいさったー   えーはんにゃ
故。菩提薩埵。依般若
はーらーみーたーこー   しんむーけい
波羅蜜多故。心無罣
げー   むーけいげーこー  むーうーくー
礙。無罣礙故。無有恐
ふーおんりーいっさいてんどうむーそう
怖遠離一切顚到夢想。
くーぎょうねーはん  さんぜーしょーぶつ 
究竟涅槃。三世諸仏。
えーはんにゃはーらーみーたー   こーとく
依般若波羅蜜多。故得
あーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい
阿耨多羅三藐三菩提。
こーちーはんにゃはーらーみーたー   ぜー
故知般若波羅蜜多。是
だいじんしゅーぜーだいみょうしゅー ぜーむー
大神咒是大明咒。是無
じょうしゅー ぜーむーとうどうしゅー
上咒。是無等等咒。
のうじょーいっさいくーしんじつふーこー
能除一切苦真実不虚。
こーせつはんにゃはーらーみーたーしゅーそく
故説般若波羅蜜多咒即
せつしゅーわつ ぎゃーていぎゃーてい
咒曰。羯諦羯諦。
はーらーぎゃーてい  は らそうぎゃー
波羅羯諦。波羅僧羯
てい   ぼーじーそ わ か    はん
諦。菩提娑婆訶。般
にゃしんぎょう
若心経。
 
ありのままに見る菩薩は、完成された深い智慧に転じる時、あらゆる因縁に応じて心の作用や環境がかりに集って、すべての事柄が成立しているとみきわめて、一切の煩悩や災いから救われる。舎利弗よ。
 
すべての存在の本質は、本質となるべきものがないのだが、本質となるべきものがないことが、すべての存在の本質である。
すべての存在は、即座に本質となるべきものがなく、本質となるべきものがないのが、即座にすべての存在となる。この世の物質・精神より行われるものは本質となるべきものがないのである。舎利弗よ。
 
このすべての法は、あらゆるものが本質となるべきものがない性質であり、生じもせず滅しもせず常住であり、汚れもせず綺麗になることもなく、増えることもせず減ることもせず、これは本質となるべきものがない中にあるからである。
 
このために、すべての存在の本質も無く、対象を感受することや感受したものを想像することや対象を形成するもの、対象を認識する心のはたらきも無い。眼・耳・鼻・舌・身体・心も無く、すべての存在の本質は、声を発することや香りを嗅ぐことや味わうことや触れることや想われることも無い。見た世界も無く、認識し思考する世界も無い。
妄想や煩悩の根源も無ければ、妄想や煩悩の根源が尽きることも無い。
老死も無ければ、また、老死が尽きることも無い。
苦しみも無ければ、苦しみから救われる修行も無い。
知識も無ければ、また、得られるものも無い。
 
本来、所有するものも無いからこそ、菩薩は完成された深い智慧によって
心を妨げはばむものも無い。
妨げはばむものがないからこそ、恐怖も無いのである。
一切の誤った見方・想念から離れて、静寂した安楽世界に達する。
過去・現在・未来の仏達も、完成された深い智慧によって
最高の理想的な悟りを会得する。
 
完成された深い智慧を知ることは、きわめて尊い真言であり煩悩の闇を破る真言であり、最もすぐれた真言であり、これに等しい真言は無い。
一切の苦しみを除く真実であり、偽りは無い。
 
このために、完成された深い智慧の真言を説く。
その時、真言を説いて言う。
 
羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提娑婆訶(サンスクリット語)
 
真理を認識し悟りを開く真髄の教え
 
これが般若心経の偈文になります。
 
お経は唱える者と聞く者が一緒に、お釈迦さまの真理の教えに触れるようそのままの言葉となっています。
 
読むときは、力まず自然に唱えるように心がけましょう。