~支倉又兵衛常信菩提霊地~ 臨済宗 妙心寺派 日月山 桂藏寺
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禅とは 禅とは心の別名であります。 私達の心は、もとより清浄であって汚れもせず、傷つきもしない「ほとけ」でありますが、他と自分を対象化し距離や境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする自らの欲によって悩み・苦しみを作ってしまい、心に曇りを生じさせてしまいます。 世の中は、自分の欲のままにならないものです。 自分と他を分別する境界と距離を超えた自然のあるがままが真実の智慧であり、この世で起こりうること全てが偽りは無く、真実の現れです。 鳥のさえずる声は耳にそのまま聞こえ、目で見るものはありのままの姿で見え、花の香りは鼻でそのまま香りを嗅ぎ、舌で味わうものもそのまま味わい、身体で感じるものはそのまま感じ、どれにしても障りなく、妨げにならない自他の距離と境界を超えた真実と一如となれる自由自在な心のはたらきであり、そのままが「ほとけの心」禅であります。 一つの相にこだわらない無相、一つの処にとどまらない無住、一つの思いにかたよらない無念の心境を禅定(ぜんじょう)と呼び、その禅定に入るために用いるのが坐禅であります。 |